天狗ばなし
雁回山には天狗が棲むという
彼等はいつも杉の木の上でキセルをふかして僕たちを見ているらしい
働いているときも
遊んでいるときも
恋人と交わっているときも
彼等に観察されているのだという
祖父はその山で彼等にあったといった
田舎づくりのその家では似つかわしくない
珈琲を啜りながら
呵々として僕に語った
あやつどま、神さんでんなんでんなか
あっどま ただ見とるだけだもね
父も僕も幼いころから聞かされてきた話
祖父は天狗を語る時 いつも珈琲を啜った
浮き世離れした話だと祖母は馬鹿にしていた
母も苦笑いしながら 聞き流していた
祖父だけが真剣に話し続けた
いつもは穏やかな人が 天狗のことだけはゆずらなかった
僕はもう一つのその祖父の顔を愛していた
ある日 祖父がぽつりとつぶやいた
おれはほんなこつ天狗ば見たとだろか
僕だけがその言葉を聞き取った
祖父が死んで十年が過ぎた今日
僕は雁回にのぼった
屹立する杉の木の間から
微かに珈琲の香りを嗅いだような気がした
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