【このページの説明】

ここでは僕が書いた詩を掲載しています。
積極的に増える事は多分ありません。
ここに置いてある詩は僕が以前に書いたもので、ネット以外では公表していません。
つまり、ネットで公開するために書き下ろした詩ということになります。
今、見返して見ると随分稚拙なところも多いですけれども、僕を知ってもらうには
いい素材ではないかと思い公開しています。

僕の詩におけるスタンスは日常の一風景を切り出す事です。
抽象的な言葉を並べるだけが詩ではない、と言う事をまず感じていただければ幸いです。
作風をそのまま詩にしたものが この作品 です。日常百景は僕の作品全てに共通するテーマです。
尚、インターネットの詩サイトではお互いをほめあう事が交流メインになっていますけれど、
ここでは必要ありません。むしろ根拠をもって否定して下さい。
否定された作品があれば僕自身の糧として、成長できるものだと思います。

オリジナルジャケット使用の詩サイトがあるそうです。
意味がわかりません。言葉の稚拙さを画像でごまかす気でしょうか?
ここではそんな無意味なことはしません。
画像処理をがんばるくらいなら、その分推敲します。
それが読んでもらう側の礼儀でしょう。

 

メニュー

1.詩人#1-6 11.歴史の足音
2心集詞 12.ネバダから来た人
3.記憶 13.人魚姫
4.記憶の残骸 14.天狗ばなし
5.暑い夏をこえて 15.日常百景
6.慟哭の夏 16無意識と云う感情
7.母親になる君へ 17.ランス
8.命の期限

18.恋愛症候群

9.上京物語 20.であったあなたに
10.窓を揺らす羽根にのる 21.冬の歌

 

 詩人は遠くを見つめてる〜詩について少し真面目に。

 高校生くらいの頃は、詩を書いていると言ったら馬鹿にされたような気がする。
 大学生になると、役者や音楽家と共に語り合い堂々と詩人をなのった。
 大学を卒業して社会人になると、また詩書きであることを隠している自分がいる。
 おかしなものだと思う。
 
 インターネットを彷徨っていると色々な詩人に出会う。
 それこそ、小学生から還暦を迎える人迄様々である。僕が詩人への憧れを隠していた世代の人たちにもよく出会う。
 彼等は本当に幸せなのだと思う。もし、僕も今の時代に生まれていたら、彼等と同じように堂々と詩を書いている事を誇示していただろう。少なくとも、インターネットの世界では。
 最近、詩を書くと言う事を少し真剣に考えるようになった。しばらく前までは、中高生の詩にかなり偏見を抱いていた。誰が書いても同じような形である事が気に入らなかったのかもしれない。メンヘル系と呼ばれる詩にも飽き飽きしていたころだった。彼等の世代にしか書けないものがあるはずなのに、それが出てこないのが気に入らなかった。
 しかし、考えてみれば彼等がなぜ詩を書こうと思ったのかが気になった。彼等はなぜ詩を選んだのか。確かに言葉はつたないし、伝わってくるものも少ない。しかし、詩なのだ、それは。おそらく、詩集というものをきちんと読んだ事もないのだろう。しかし、自分の気持ちを伝えようとしている。
 詩とは、それ程堅苦しいものではないのかも知れない。かつては萩原朔太郎が、詩は身近に存在する友人のようなものだと言った。確かにそうかもしれない。それならば、だれもが詩人になれるし、なる資格があるのだ。
 私が彼等にどうこう言うことはなかった。彼等は彼等で思いを書き綴ればいいのだ。それがどんなに使い古された言葉の羅列でもかまわない。
 言葉は万能ではない。言葉だけではなにも伝わらないかもしれない。しかし、言葉が連なり詩となったとき、それは音楽を伴い全てをあらわす鏡となるのだ。
 

 詩とは生きた心理学である。それを心に留め置きさえすれば、誰でも詩人なのだ。